高円寺北中通り商栄会

北中通り商栄会の変遷 ――通信学校通りから、馬橋中通り、そして、北中通りへ

kitanaka_02ここ、北中通り商栄会は、昭和4年に、「通信学校通り睦会」の名で発足しました。「通信学校」とは陸軍の学校で、現在、馬橋神社や馬橋小学校、秀和レジデンスが建つ一帯にありました。昭和13年から14年にかけて、通信学校は移転、この施設は、陸軍気象部を経て、昭和21年、気象庁気象研究所となりました(昭和55年につくば市へ移転)。今日、氷川神社にある気象神社は、陸軍気象部が構内に造営したものです。通信学校のかたわらには陸軍士官の宿舎「階交社住宅」があり、駅へ向かう軍人らの長靴の音が、現在のセントラルロードに響いていたといいます。

終戦を機に、「馬橋中通り商栄会」と名前を改めました。現在の高円寺北四丁目から阿佐谷北五丁目の一帯は、当時、馬橋という町名で呼ばれていたのです。この馬橋はかなり歴史のある集落で、室町時代にはすでに住人がいたといわれています。江戸時代の馬橋村は、幕府直轄の天領で、三五八石を誇る稲作地帯でした。昭和40年、全国で町名の変更が行われ、「馬橋」の地名も消えましたが、馬橋小学校、馬橋公園、馬橋稲荷神社など、暮らしを支える数々の場所や施設にいまもその名を残しています。商店会の名も、このとき、「高円寺北中通り商栄会」と改められ、いまにいたります。